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言葉のチカラ [Think about XX]

 朝日新聞18日の記事によると鳩山法相は「死に神」らしい。
死刑執行が2ヶ月間隔で、刑確定から執行までの期間が極端に短いということだろう。

ただ、それは鳩山法相の責任なのか?刑は一応確定しているはずである。もちろん再審請求で結論が覆る可能性はあるが、そこまで考えれば刑の執行はおろか判決も出せなくなってしまう。
法相にどのような責任を朝日新聞は求めているのだろうか。

 朝日新聞に限定したことではないが、メディアの意識の低さ、加えて言語感覚の悪さに呆れてしまう。
今回のこの記事にしてもそうだ。「死に神」という表記が正しいはずがないことは明白である。

朝日新聞の「私たちは言葉のチカラを信じている」というCMにしてもそう。確かに朝日新聞のスタンスをよく示しているとは思いますが・・・。なんか言語感覚が研ぎ澄まされず、読み込み浅く、インパクトだけに走っている感が否めない。

 ジャーナリスト宣言!といわれても。顔も見えないし。そこにあるのは「朝日新聞」という仮面であり、[-ist]だと思うことは私には出来ない。[-ism]には見えますが。

 法相の批判に対して朝日広報部は特にコメントはないらしい。

 「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」
しかし、どう考えてもゴシップを載せる雑誌のような感じで、これが新聞だとは到底思えません。


尽きぬ疑問。 [Think about XX]

 安倍内閣になってからというものおかしな方向に世の中が行っているような気がして仕方がない。にも関わらず、少し支持率回復の意味が分からん。
 最近ニュースをにぎわしているのが改憲論だ。世論調査なんかの結果では結構改憲賛成が多いのに驚く。しかし、それと同時に出ている調査結果は9条に関しては変えなくてよいというもの。これってどうなんだ?長くなりそうなもんで、隠します。  

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繰り返す・・・ものなのヵ・・・ [Think about XX]

 一昨日伊丹まで行ってきた訳ですが、JR伊丹が最寄り駅であったこともあり、JR宝塚線に乗りました。と、いうことは当然あの地点を通ったわけです。
 現場には千羽鶴があり、献花台がありと全く時間が経過していません。(そのように映る)
その横を列車は悠然?と走り抜けていきました。
何か変化したのでしょうか?十分な反省は(それで済むとは思えないが、それしかできないのだからしょうがない)あったのでしょうか?
 平常運行を安全に行うことが遺族の願いではない筈です。何か機械的な対応に終始し、拙速な解決を導こうとしているようにしか思えません。電車と同じく横を会社も駆け抜けるのでしょうか?
                                                

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無菌化か資本主義の弊害か。 [Think about XX]

 もう少し前のことになりますが、新聞で絵馬を書く人にプライバシー保護シールを渡しているという記事を読みました。
 これってどうなんでしょうね?書く段階で見られることには半分同意しているような気もするのですが・・・。それでも見られたくないなら細かいことまで書かなければいいようにも思えます。
 なんだか、全てを個人という基準で判断してしまうのもどうかと思います。個人が際だった結果、逐一個人情報として扱われてしまい、公開前提のものにまでブロックがかかってしまいます。
 勿論この背景には何らかの形で悪用されるかもという懸念があるのでしょう。
 と、すれば資本主義もこのような傾向に一役買っている、ということになります。
 無菌化(他者廃絶)の志向と、資本主義による個人の強烈な主張。資本主義というシステム自体が他者との競争を前提とするものであれば、この時点で逆説的であると言えます。

 なんだか全てがガラス張りというのもどうかと思いますがねぇ・・・。

一回り。 [Think about XX]

 1.17。あの日ですね。当日には結局書けませんでしたが、阪神淡路大震災から12年。干支が一回りしました。
 なんだか、もうそんなに経ってしまったのか・・・という感じです。この間平穏に暮らせたようでありながらも、内実に何かを抱えているような12年だったような気がします。
 細かなことは書きませんがそんな感じです。

 現在のお仕事に当たる上でとにかく心に銘じていることもこの時に自分自身が痛感した出来事によるものです。
 そのような意味で、私の歩みを時には留めながらも強くしてくれてもいるのだと思います。
 あの時感じたこと、全身が震えるような恐怖を感じることは人生でそう何度もあることではないでしょう。肝に銘じて生きていきたいものです。(分かりにくい点しかないですがご容赦下さい)


日々進化。 [Think about XX]

 昨日テープのりの使いこなしが難解だと書きましたが。やはり、それは私に限ったことではないようで、進化を遂げております。



その名もDOT LINER!全面ノリではなく、接着剤をドットにしたことで紙離れがスムーズになっています。これは便利です。しかも詰め替え用で環境に優しい男にもなれます(笑)

これなら快適にサクサクとお仕事が出来ます。


言うこと聞いてくれ。 [Think about XX]

 私の言うことを聞かない文具がおります。コイツです。


テープのりです。もともと私も器用ではないのですが、そこまでたわまんでもというぐらいに毎度毎度たわんでくれます。
 これは修正テープでも同じ。たびたびたわんでは作業をとめてくれます。
 私が想定外に不器用なのか、機構にそもそもやはり問題があるのか・・・。どっちでしょ?

 ここのところお仕事の準備で切った貼ったを繰り返しています。その作業の効率化になればと思って購入したこのテープのりですが、思った以下の効果しか発揮しませんでした。
 結局現在はスティックのりで粛々と作業を推進しております。

上手な使用法ってあるんですかね?あればぜひ教えてください。(>_<)

厳然たる事実? [Think about XX]

今「夜王」というホストのドラマをやってますね。原作はマンガらしいですが、私ドラマもマンガも見ていません。ちらっとドラマは見ましたが。

少し見て得た情報によると、「ロミオ」というホストクラブが舞台らしい。で、お客様を迎える時の言葉は
「ようこそロミオへ、ジュリエット
らしい。
 これってなんとも言えないネーミングではないだろうか。もちろん「ロミオとジュリエット」が念頭にあることは間違いない。シェイクスピアの傑作の詳細をいまさら書くことはしないが、言わずとしれた悲劇である。最終的には死を選んでしまうのだから・・・。
 そんな物語を念頭においたホストクラブ「ロミオ」は、ホストと客の間にはじめから障害があることを店員が自ら宣言しているのだ。もちろんホストクラブに来る女性はそんなことは分かっていて来ているのだろうが、はっきりと言って欲しいとは思っていないだろう。
 なんとも皮肉で、このネーミングが意図的であれば面白いなぁ・・・と思います。
 ドラマもマンガも知らないので話の展開とは全く関係ないと思いつつそんなことを考えてしまいました(笑)


親切な辞書に想う。 [Think about XX]

突然ですが、最近の辞書はわかりやすくなりすぎていると思います。全訳・・・とかいう古語辞典はどうなのかなぁ・・・。結局例文が挙がっていて、訳までそこには載っているわけです。と、すればその語の意味を見ることなく例文の訳だけ見て終わりになってしまう恐れもある。言葉は四角四面のものではないだけに辞書は揺れないものでないといけない。揺れを少なくするために様々な意味のパターンを載せているわけです。そして調べる私たちも提示された可能性の中から最善の一つを選ぶ作業をするわけです。そのような過程で言語感覚というものは鍛えられるのではないかと思います。
 また、国語辞典も同様でわかりやすければいいものではないと思う。現代社会ではネットサーフィンができない人はいないだろう。特に若い世代には。ネットサーフィンが出来て、辞書サーフィンが出来ないということの理由が見あたらない。言葉は一語では生存しえない。言語を習得していない子どもがいる以上一つの言葉を説明する言葉が必要になるからだ。
 だとすれば、辞書がわかりやすくあることはいいことだとは思えない。言葉は他の言葉との連関によって存在するのであり、一語では生きることが出来ない。

 少し不親切な辞書で様々な言葉の間をくぐり抜ける経験こそが思考力を鍛えてくれるのではないだろうか・・・。

弱いままの11年。 [Think about XX]

やはりまだ当日に書くことは出来ませんでした。今週の火曜日1月17日で例の阪神淡路大震災から11年が経過したとのことです。
 11年経過した今も紙面のトップを飾り、話題になる。それほど大きな出来事でした。これは私にとっても大きな出来事でした。はっきり言ってまだ細かなことまで書くこともできませんし、したくありません。
 夏目漱石「こころ」の「先生」のように人間不信な私ですが、大きな淵源がここにあります。
 あの時の周囲の眼が今でも忘れられません。好奇の目があれほどに身を切り刻むとは思いもしませんでした。またそれが訪れるような事は避けたいのです。人間は残酷な生き物です、少しの事が大きなことに成り代わってしまうのです。
 このような経過を経ながら11年。大学を出させてもらい、大学院に通うことまで許してくれた親には、他の部分はどうあれ感謝の言葉しかありません。この11年間でも、まだ地震について語りたくない自分は成長していないのかもしれません。確実に足は進んでいますが、そこに戻ることは身体と心が拒否しています。現に今年も「あの時揺れましたか?」なんていう同僚の会話の場から逃げるように去ってしまいました。
 しかし、マイナス面ばかりではなく、この時の出来事を反面教師に私は現在のお仕事をしていこうといつも思っています。

 ここまで十分すぎる位に責任を果たしてくれた両親に、そして地震に絡む様々について私が語ろうと思った本当に大切な友人二人にはとても感謝しています。

厭世的かもしれませんが、「本当に確かなものなどこの世にはないのだ」と思ってしまいます。


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